2012年03月15日

山本紀夫著『天空の帝国インカ』

今回取り上げるのは、インカ帝国の歴史について書かれた山本紀夫著『天空の帝国インカ』(PHP新書)です。著者である山本紀夫氏は国立民族学博物館名誉教授であり、40年以上にわたってアンデス高地の歴史や人々の暮らしについて学術調査を行っている民族学者であり、人類学者です。

私がこの本を読んでみたいと思ったきっかけは、先月の下旬にBSアーカイブスで再放送(初回放送は2001年)されたペルーの山岳鉄道の旅を取り上げた番組を見たことでした。作家の関川夏央さんがペルーの山岳鉄道に乗って、かつてインカ帝国が栄えたマチュピチュまで行くという内容でした。

この番組でかつてのインカの栄華を感じさせるマチュピチュの神秘的で壮大な光景や、ペルーの人たちの暮らしぶりを見て、改めてインカ帝国について知りたいと思いました。

この『天空の帝国インカ』は、著者である山本紀夫氏の人類学的、民族学的なフィールド・ワークに基づく知見を中心にして、考古学や歴史学、地理学、生態学、農学などの関連分野の研究成果も参照しながら、当時のインカの人々の暮らしについて論述したものです。

この本を読むと、様々な分野の研究に基づいて、インカ帝国の実態がかなりの程度まで解明されてきているということがわかります。また、山本氏自身の学術調査に基づく人類学的な考察から、インカのエリート層だけではなく当時の一般の庶民の暮らしの実態が詳細に綴られており、彼らの精神世界の話は、歴史推理小説を読んでいるかのような歴史のロマンを感じさせる、心躍るものでした。

以下に、本書の中から主なポイントと考えられる内容をまとめてみました。

世界最長のアンデス山脈は南米大陸の太平洋岸に沿って南北に約8,000キロメートルの長さにわたって細長く走る大山脈で、標高6,000メートルを超える高峰もある。この長さは、日本列島の本州を6つから7つつなぎ合わせたくらいのものだ。こういう細長い形を特徴とするアンデスは、緯度によって北部アンデス、中央アンデス、南部アンデスという大きく3つの地域に分けられる。緯度が低ければ低いほど、一般的に言って気温は高くなる。そのため、低緯度地帯は熱帯あるいは亜熱帯圏となり、北部アンデスや中央アンデスはこのカテゴリーに入る。ただ、この熱帯圏には6,000メートルに及ぶ大きな高度差を持つ山岳地帯があるため、標高の高いところでは寒帯や氷雪地帯も見られる。このように中央アンデスが低緯度地帯に位置することによって、富士山の頂上と同じくらいの高地でも気候は1年を通して比較的温暖だ。

また、標高が高いと住みにくいのではないかと考えている人が多く、海抜3,000メートルを超す高地で生まれたインカ帝国のことが驚異的な謎だとされがちだが、実際にはそうではない。インカ帝国の中心地だったペルーのクスコは、海抜3,400メートルの高さに位置し、当時約20万人の人口を擁する南米最大の都市だった。高地に位置するということには、疫病をもたらす媒介蚊が発生しにくいことや、交通路が制限されているために外界からの流入者を防ぎやすいという利点もあり、高地は健康地だという側面もある。

日本ではよくインカ帝国は古代帝国とか古代文明という言葉で表されるが、インカ帝国が栄えた15世紀は日本の室町時代に当たり、日本史に照らし合わせると、インカ帝国は近世と言っていいほど比較的新しい時代のことだった。また、インカ帝国はアンデス文明と同一視される傾向があり、これも誤解の原因になっている。アンデスに人類が初めて姿を現したのは今からおよそ1万年前のことであり、インカ族が勢力を広げ、中央アンデス全域を支配下に置き、隣接地域も征服し、最盛期を誇ったのは、15世紀からわずか100年ほどのことだった。つまり、数千年に及ぶアンデス文明の歴史の中で、インカ帝国はほんの一部にすぎない。

インカの人々は、トウモロコシやジャガイモを主に食用として栽培し、灌漑技術と階段耕作という2つの大きな特徴ある栽培技法を使っていた。灌漑は海岸地帯で古くから行われていたが、階段耕作は山岳地帯に限られ、山岳地帯に多い斜面を階段状にして、そこを耕地とする方法だ。そういう栽培の中でも、インカの人々は特にトウモロコシ栽培に強い執着を持っており、ここには非常に重要な意味がある。つまり、インカの人々にとって、トウモロコシは食料としてよりも、むしろチチャという名前で知られる儀礼や祭りに使われる酒の材料として欠かせないものだった。インカの国家宗教である太陽信仰の総本山だった「太陽の神殿」で造られたチチャ酒は、インカ王自身が最高の神官となって太陽に捧げられる祭りである「太陽の祭典」のために使われた。この祭りは、インカ帝国最大の荘厳な祭りだった。この祭りで、チチャ酒は、太陽神との交流のために消費された。また、当時の再分配経済の中で、インカ王や地方の首長たちは、再分配の時の贈り物とともにチチャ酒を気前よくふるまうことによって、人々の支持を集め、自らの権威を高めていた。さらに、各地の異民族との間の緊張関係を避けたり、解いたりするためにも、インカ王はチチャ酒をふるまって、富の分配に利用した。実際、考古学者によると、インカ以前の中部高地で政治的緊張の高まりとともに、チチャ酒の製造が増加しているという報告もある。

インカ帝国の滅亡から500年の年月が流れた現在でも、アンデス農民の間でチチャ酒は重要な存在だ。農作業を手伝ってくれた人たちにチチャ酒がふるまわれ、老若男女を問わず皆で飲む。その時、自分が飲む前には必ず大地にも飲んでもらう。彼らは、大地には農耕の神様パチャママがいると信じており、大地に対してコップを傾け、地面に酒をこぼして捧げる。

さらに、インカの文化の中でもう1つ重要なのが、ワカ信仰と呼ばれる古い時代からの信仰だ。インカ時代のアンデス住民は、太陽、稲妻、海、山、丘、大地、泉、川などを信仰の対象としており、これらを「ワカ」と呼んで崇拝していた。

また、自然界、生物界に生じた特異なものや異常な形態をしたものなどに特別な関心を持ち、神聖視し、崇拝していた。双生児の母親や逆子、手や足に指が6本ある者など、「通常の成り行きから逸脱」したものに、特別な力や神秘的な力を見出していた。これは食べ物にも言えることで、例えば、果穂の一部が割れていたり、途中から二重または三重になったりしている異常な形をしたトウモロコシを「サラママ」(インカのケチュア語で「トウモロコシの神様」の意味)と呼んでいた。このサラママは大地の神であるパチャママへの贈り物であり、収穫したトウモロコシのお守りと考えられていた。これは、インカ以前の時代に作られた数多くの土器や織物類などにも見られ、異常な形をした人物や作物、家畜などをモチーフにしたものがある。

このような「異形」なものを神聖視するワカ信仰の中でも、インカ帝国の中心地だったクスコに足を踏み入れた征服者たちを非常に驚かせたのが、ミイラとインカ貴族のオレホンと呼ばれる大きな耳だった。インカ王のミイラについて、スペイン人ピサロは不快感と驚きをこめて次のように記述している。

「このクスコにいた人々を見ると、驚きを感ずる。彼らの大部分が(中略)死者たち(ミイラ)に仕えていて、毎日それを広場にかつぎ出し、それぞれ古さにしたがってきちんと並べて、そこで男女の使用人が飲み喰いした」

また、アコスタによると、「王や貴族の遺体は、悪臭や腐敗なしに」そっくりそのまま保存され、「完全な姿のまま、肌も艶々としているのを見て、人々は驚いた」と記述している。

また、インカ王や貴族は、貴性の印として、耳に穴をあけて金などの図柄をはめ込んでいて、そのために耳が大きくなっていたので、スペイン人は彼らを大耳を意味する「オレホン」と呼んでいた。

このように、インカ帝国では自然界にある異形だけではなく、ミイラやオレホンのような人間が手を加えて積極的に異形的なものを生み出していた。ミイラやオレホンもインカのエリート層に限られていたことから、異形と高貴性は強く結びついていた。異形的なものは神様と言っても過言ではなかった。

さらに、この異形的なものを神聖視するワカ信仰は、インカ帝国の滅亡にもつながっていたのではないかと考えられる。

フランシスコ・ピサロに率いられたスペインの征服者たち168人がインカに現われ、その使者がインカ王のアタワルパを訪れ、翌日彼らの指揮官が面会したいとの伝言を伝えた時、アタワルパはそれを承諾した。その翌日の夕刻、アタワルパは多数の部下を引き連れて町にやってきた。そこへスペインの従軍聖職者が武将と通訳を伴って近づき、神父が祈祷書を持ってキリスト教について説いた。それを見せてほしいというアタワルパの要請に従って神父が閉じたまま本を手渡すと、手には取ってみたが、開け方がわからなかったためにアタワルパはそれを地面にほうり投げた。このアタワルパの行為をスペイン人は神への冒涜だと考え、スペイン軍による総攻撃が始まり、大量のインカ兵が殺され、アタワルパも捕まり絞首刑に処されてしまった。

ここで問題は、なぜインカ王が策略とも知らずに、やすやすとスペイン人たちの要請に従って彼らと会ったのかということだ。これに関して重要なのは、アンデスの人々がスペイン人のことを「白い人間」と呼んでいたことだ。インカの創造神話の中には、ビラコチャという創造神が現われる。そして、このビラコチャこそは白人だったのだ。インカの創造神が白人だったということは、黄色人種であるインカの人々にとってはまさに「異形」なものだと見なされていたのではないか。これは前述のワカ信仰と結びついたものであり、創造神であるビラコチャは、「いつの日か自分の使いをよこす」という伝説もあった。それ故に、スペイン人の到来はビラコチャの再来と信じられたとしても不思議ではない。

さらに、アンデスで家畜として飼育されていたリャマやアルパカといった小型の動物に対して、スペイン人たちが引き連れていた馬も異形に他ならなかった。体が小さく、大きな鳴き声を立てないリャマやアルパカに対して、体が大きく、大きな鳴き声を上げる馬は異形だったのだろう。

このように突然姿を現わした「白い人間」たちは、古くから異形的なものを崇拝し畏怖していたインカの人々にとって、極めて大きな衝撃を与えたに違いない。つまり、スペイン人たちが持っていた馬や鉄製の武器などの物理的な意味だけではなく、アンデスの人々の精神世界にあった崇拝や信仰もインカの滅亡の大きな要因だったのだろう。

posted by 平井和也 at 18:44| Comment(0) | 読書 学術 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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